【宮城旅行ブログ】日本初!金がとれたの宮城県が初めてって知ってました?【大人の休日・歴史探訪】
煎茶道家翼仙が、宮城県涌谷町にある、日本初の砂金生産地へ訪れた旅記事です。
こんにちは。
旅好き茶道家のよくせんです。
今回は宮城県涌谷にある箟峯寺(こんぽうじ)に行ってきました。
無夷山箟峯寺(むいさんこんぽうじ)とは
宮城県涌谷町にある篦岳丘陵(ののだけきゅうりょう)の一山に居する東北の古刹です。
807年に平安京から派遣された征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が創建しました。
849年3代目天台座主(てんだいしゅうさんだいめざす)である円仁(えんにん)が中興し、無夷山篦峯寺(むいさんこんぽうじ)と名付けます。
箟岳山(ののだけやま)の山頂にあり、奥州三十三観音の第九番札所に数えられています。
-------基本情報ーーーーーーーーーー
名称:箟峯寺(箟岳観音)・箟岳山
ふりがな:こんぽうじ(ののだけかんのん)・ののだけやま
駐車場:あり
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近くには参拝者用の無料駐車場が完備されており、観光にもグッドです👌
一応隣町に住んでいますが、来たのは今回が初めて。しっかり見ていきましょう😊
駐車場に車を停めたら、急な石段がありました。
かなり昔のものらしく、ゆっくり確実に登っていきます。手すりがあるのが良いですね👌
登り終えると、立派な仁王門(におうもん)が見えてきます。
門の中にいる仁王様(におうさま)が、邪気(じゃき)が入ってこないよう見張ってくれます。
こちらが仁王様。
最初見たときはマジで怖かったです!
かなりリアル!!
背丈も同じぐらいで、人間がたっていると勘違いしたぐらいです。
防虫・防腐用に朱色が塗ってあり、恐ろしさが倍増しております。
これくらい怖くないと門番は出来ないですね。。。
天井からは注連縄(しめなわ)が垂れ下がっています。
門には草鞋(ぞうり)もありました。
神仏習合(しんぶつしゅうごう)の修験道(しゅげんどう)に影響をうけているお寺だということが分かります。
門をくぐり龍の手水舎(ちょうずや)で身を清めます。
実は龍って水の神様なんです。
だから手水舎で水を出してくれてるんですかね。
石灯篭(せきとうろう)には鹿が描かれています。
ここ箟岳山は、松島湾から伸びる箟岳丘陵の一角にあります。
宮城の海沿いには鹿を神様の使いとして見る信仰があります。
牡鹿半島(おしかはんとう)などその典型です。
鹿が何か見上げていますね。
横には、カタツムリでしょうか。
螺旋状(らせんじょう)の何かがいますね。
山上密教(さんじょうみっきょう)の天台宗(てんだいしゅう)のお寺です。
山だらけの宮城県北部にぴったりですね。
天台宗の始まりは、山の上で修行する密教(みっきょう)スタイルが原点です。
立派な文字で「無夷山箟峯寺(むいさんこんぽうじ)」
どういう意味なんでしようか。
夷の意味
① 未開の人。えびす。野蛮人。
つまり山号(さんごう)の無夷山(むいさん)とは、かつてこの地域に大和朝廷から派遣されてきた坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)から見た野蛮人がいたということになります。
そう、皆さんご存知かと思いますが、東北周辺は夷狄(いてき)と呼ばれるエミシ(蝦夷:東北の先住民)の支配地域でした。
そんなエミシを制圧した後、大和朝廷の信仰である仏教を導入し、エミシを制圧して、いなくなった山ということで無夷山と付けたのでしょう。
例えば気仙沼(けせんぬま)とか田尻(たじり)とかです。
篦峯寺(こんぽうじ)は恐らく金峰(こんぽう)に掛けた言葉と思われます。
ここ宮城県涌谷町(みやぎけんわくやちょう)は日本初の砂金産地として全国的に有名です。
奈良の大仏は涌谷の砂金なしでは作れず、当時の聖武天皇は日本で砂金が採れることを知って狂喜し、天平時代と改めるほどの大発見だったそうです。
砂金は溶かされ、水銀と配合されてアマルガムというメッキが出来上がります。
(砂金➕水銀=アマルガム)
錬金術ですね!
アマルガムは加工しやすく、大仏の表面を覆うメッキになります。防腐、防虫の効果が抜群だったそうです。
ちなみにこの水銀は、丹(に)と呼ばれ神社の朱塗りに用いられるなど重宝され、水銀が採れる地域には丹生神社がつくられました。恐らくスピードスケートで有名な羽生選手の名字の由来もここから来ているのでしょう。
それにしても立派なお堂です。
組物や蟇股(かえるまた)の木工細工(もっこうざいく)が見事です。
東北は中央に奥羽山脈(日本一巨大な山脈)があり、木材が豊富です。
なので木工技術は一流のものがあります。
例えば宮城の気仙大工(けせんだいく)、秋田の曲げわっぱ、山形県の天童木工(てんどうもっこう)などです。
大和朝廷が日本各地に進出するときは、稲作を伝えるなど、文化と共に進出してきたと言われています。王化政策(狩猟から農耕へ)と言われていますが、要は「稲作をして税を納めないさい」という事です。
農耕文化は見事に東北にフィットし、今では米どころ東北宮城として、一大産業になっています。
敗者の歴史は残りませんが、痕跡は感じ取れますね。
立派な作りです。
格子窓も蔀格子(しとみごうし)のようで、貴族が住まう寝殿造り(しんでんづくり)のようです。
参道からは宮城県北部の田園風景や遠くは石巻や牡鹿半島の景色が一望できます。
松尾芭蕉が歩いた「奥のおそ道」も見ることができます。
また参道には沢山の杉が植わっています。
大きい杉には「太郎杉」「三郎杉」など名前が付けられています。
「夫婦杉」
根本が1つになっており、そこから2つに分かれています。
不思議ですねーどういう構造になっているんでしょうか。
おまけ
箟峯寺に向かう道中、延々と田園風景など田舎な感じが続きますが、たまに道路横に石碑が見られます。
田舎の道端と言えば、道祖神(どうそじん)や馬頭観音(ばとうかんのん)など、街道を歩く人を見守る神様は有名ですが、宮城県はどんな石碑があるのでしょうか。
近くにいって撮影しました。
向かって左の石碑には「八幡大神(はちまんおおかみ)、天照皇大神(あまてらすすめらぎおおかみ)、春日大神(かすがおおかみ)」、右には出羽三山(でわさんざん)の神社の名前が書いてあります。
この石碑も道中旅する人を見守る道祖神のような存在なのでしょうか。
東北には今も文化が残っています。
今でこそ、形だけしか見えないかもしれませんが、地名や石碑や建物だけでも、これだけのことが分かりました。
東北ってやっぱり楽しいです。
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・煎茶道 黄檗賣茶流教授 東叡山翼仙(とうえいざんよくせん)とは!
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